人は言い方にも、聞き方にもクセがある、だから……


人の生命は生き残るために、広がりながら進化してきたということを、宇宙や自然の法則からわたしは知りました。 
 
そして広がるための一つにコミュニケーションがある、
と考えています。

だれかと分かち合ったりグループでシェアしあうことは、
一人ではたどり着かなかった発想や発見があります。 
問題解決の糸口になることもあります。

ただし、分かち合うっていってもちょっとした基本的なルールがあると、なおよいことも実感しています。 

例えば周りを気にして、
つい自分の気持ちを抑えてしてしまう人もいるけれど 、
逆に、言いっぱなしのこともありますね。  
 
むかし学んだ先生の話で思い出したことがあります。 
 
自分の気持ちを伝えたとしても、
(そのプロセスはとても大切です) 

会話が飛び交うだけで終わることもあるよ。
(ようはお互いに言いっぱなしで対話にならない)  
 
わたしたちはお互いに、言い方にクセがあるように、
聞き方にもクセがあるからね。
(おお~確かにそうだ!)

分かち合いはコミュニケーシですから、
コミュニケーシの本質を大事にしたいですよね。 
 
じゃあ、コミュニケーシにおいて、 
大事なことってなんでしょう? 
 
それは、『相手と共有しようとすること』です。 
 
だって、コミュニケーシの本質はそもそも 
『相手と協力し合うためのもの』だからです。  

わたしたちは、とてもすばらしい表現をつかっても、
情熱を込めても、非言語をつかっても、
そこには相手の「勝手な前提や思い込み、解釈」が加わります。

「うれしそうだな」「怒っているのかな」という解釈は
どうしても相手に中でも生まれてしまうのです。
 
この点を考えるとコミュニケーションとは、
自分の伝えたいことと相手の中で生まれる解釈との、
コラボによって生まれるもの。

相手の中で勝手に解釈されてはじめて、
自分のことばが相手に届くのです。

つまり、どうしたって相手の解釈も加わってしまい
そこに歪みが生じてしまう、ということ。 
 
この「歪み」こそが、人と人とが関わりあいが
むずかしく感じてしまう理由でもあるのですが……   

人は他人の言葉を、自分の聞きたいように聞くという
無意識なクセがあることを知っておくといいかもしれません。  

だからこそ『相手と共有しようとすること』
を少しだけでも意識してみると、

上手くいくコミュニケーションというより、
いい塩梅の距離感を保ちながら関わりあえるのじゃないかな、
と思っています。

さらに人との間に生まれる「歪み」をうまく活用した
コミュニケーションをとるこができると、
いろんな人とも何かを共有することができる可能性は高いです。
 
その方法はあります。。。つづく