やりたいという気持ちがあるのに、行動に移せない

 

この間友人と話していて、改めて人って

さまざまな「そのひと自身」がいるのだなあと思いました。

もちろん、わたし自身もそうです。

例えば

日々、みんなと調和的にすごしたい
と思っているとします。

その一方で

だれかに何かを言われたりすると
すぐ「カチン」ときてしまう自分もいる。

正反対でどっちなんだ?
みたいなことってあると思うんです。

 

結論からいうと、どっちも自分自身だし
それでOKなんですよね^^

ただ、ちょっと考え方や見方はあります。

今日のタイトルのように

「やりたいのに行動に移せない」

となるときはありませんか?
これも正反対な感じですよね。

 

こんな状態のとき、もしかしたら

本当はそんなにやりたくない
やらなきゃが、やりたいに変わっている可能性があります。

本当はやりたくないか

別にやりたくないわけではないけれど
やりたいわけではない。

だけれど、やらなくちゃと思っている。

これさえやれば……と思っている。

本当は、それ以外の方法もあるのに
それしかないと思い込んでいることもある。

例えば婚活するのに、まずは痩せないと!
というような視点しかない、みたいなことです。

 

こうなってしまうとき

自分の「コア」(魂)からのメッセージを
「からだ」が「頭」と「ことば」に
変換しきれていないということが起こっています。

ですから「コア」が放っていることを

「からだ」からの感じを受けとって
それを、受け入れていることを自分に許可しているか

がポイントになります。

 

冒頭の例で、みんなと調和的にすごしたい。

だれかに何かを言われたりすると
すぐ「カチン」ときてしまう自分もいる。

と気づいた場合

それはどちらも
自分でいいんだよと書きました。

みんなと調和的に……
そういう風に自然と考えてしまうのは

もっている性質でもあり
そのような思考の流れであり

判断基準でもあり
持ち味であるんじゃないかなと思っています。

そして
すぐ「カチン」と感じてしまうのは

むしろその人の「コア」(魂)が求めているところの
きっかけだとも思うのです。

感じるとは
からだを通して反応するものですから

どんな感じであっても
そこにはその人の

「コア」へとつながるルートがあり

究極、魂がどんな体験を求めているかの
ヒントがあるのです。

それは根底に流れている
生きがいだったり

本人がしあわせを感じやすい
ポイントだったりします。

この
だれかにいわれると「カチン」の場合
もしかしたら

自分の中にある
新しい発見を大事にしたいとか

オンリーワンとか

人の中にある
新しい発見なんかに気づくことが
うれしく感じるかもしれないですね。

そのため、なにかと

自分にとっては「カチン」として悔しいぞ!

と思えるような人や状況を
創ってしまうのかもしれません。

でもそれは

とことん自分というものを通して
自分だけの新しい発見を楽しみ
可能性にワクワクしながら、を思い出して

というメッセージ。

それを受けとって
少しずつでも表現していくと
「コア」(魂)は喜ぶと思います^^